2012年 03月 02日
――VEフランクル『夜と霧』池田香代子訳129頁~――
生きる意味を問う
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転
換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するか
ではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を
期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望をしてい
る人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス
的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きる意味を問う
ことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い
知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはんその問いに答えを迫られている。
考え込んで言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度をとることによって、
正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、
この意味への問いに一般論で答えることもできない。
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、
常に具体的ななにかであって、したがって生きることが
私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、
ひとりひとりにたった一度の、他に類を見ないひとそれぞれの
運命をもたらすのだ。
だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と
繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、
人間は異なる対応を迫られる。
生きる意味を問う
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転
換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するか
ではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を
期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望をしてい
る人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス
的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きる意味を問う
ことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い
知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはんその問いに答えを迫られている。
考え込んで言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度をとることによって、
正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、
この意味への問いに一般論で答えることもできない。
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、
常に具体的ななにかであって、したがって生きることが
私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、
ひとりひとりにたった一度の、他に類を見ないひとそれぞれの
運命をもたらすのだ。
だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と
繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、
人間は異なる対応を迫られる。














