――VEフランクル『夜と霧』池田香代子訳129頁~――
生きる意味を問う
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転
換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するか
ではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を
期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望をしてい
る人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス
的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きる意味を問う
ことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い
知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはんその問いに答えを迫られている。
考え込んで言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度をとることによって、
正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、
この意味への問いに一般論で答えることもできない。
ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、
常に具体的ななにかであって、したがって生きることが
私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、
ひとりひとりにたった一度の、他に類を見ないひとそれぞれの
運命をもたらすのだ。
だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と
繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、
人間は異なる対応を迫られる。